「没イチ」という言葉におもうこと
こんにちは、ミルクです。
先日の新聞記事に「没イチ パートナーを亡くしてからの生き方」と題して小谷みどりさんが講演をおこなったという記事を読みました。
パートナーを亡くしてた人を「没イチ」という言葉で紹介、配偶者との死別後の生活において、身の回りのことを自分で行う「生活自立」と「精神的自立」の大切さを説き、元気なうちに「自分が何をしたいか」を考える訓練をしてと訴えた。
「没イチ」という言葉を始めて目にして、 パートナーを亡くしてた人をそう呼んでよいものか?との思いもあります。
しかし、結婚している人はいづれはどちらかが先に亡くなるわけで、その後の生活を考えておくことは大事だと思います。
今年夫を亡くした従妹が、生前は生活のすべてをご主人任せにしていたので、亡くなる前にご主人が色々なことをどうすればよいか話してから亡くなった。という話を聞いたことを思い出しました。
主人と二人の生活の今、保険関係、預貯金、その他諸々情報を共有しておかなくてはと思いながら、思うばかりで何もしていないのはどこかに、その時はまだまだ先との思いがあるからでしょう。
今日であった方が、あなたは若いからそんなことは考えないと思うけど。
朝目覚められるか思うのよ、主人をなくしてからそう思うようになった。
と話されたのが心に残り、先日のこの 「没イチ パートナーを亡くしてからの生き方」 の記事を思い出しました。